凛マガジン(祇園祭りの思い出)

●祇園祭の思い出

●祭と言えば、浴衣!

●家庭でのお手入れと、和裁

●お手入れランキングとコスト

●家庭にあった道具(1)

●家庭にあった道具(2)

●おばあちゃんの工夫

●家庭のお手入れに代わるもの

●今のうちに聞いておきましょう!

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●祇園祭の思い出

全国には、数多くの夏祭り・秋祭りがありますが、京都でこの時期に「祭」と言えば、祇園祭と決まっています。 最近は、運営方法やお客さまの層などに変化が見られますが、市内の町ごとに所有している「鉾」が町内を巡行するのが主体です。 子ども時代の思い出は、「コンチキチン」の鳴り物を演奏する「囃子方(はやしかた)」を務める友ちがいると、晴れ姿を観に行ったこと。名前を呼ぶと、鉾の上から手を振ってくれたり、真剣に演奏する姿を見て、楽しかったのを思い出します。 あと、楽しみだったのが、鉾の「曳き初め(ひきぞめ)」です。祇園祭の「鉾立て」が終わると行われる、儀式のことです。 巡行の本番は、町内の決まった人間しか鉾を引けませんが、曳き初めは誰でも参加することができます。「曳き初めで鉾を引いたら、1年間風邪をひかない」と言われていることもあり、町の住民でなくても、大人、子ども、おじいちゃん、おばあちゃんもいっしょに引いていました(最近では、見物客や外国人観光客の参加もあるようです)。 曳き初めが終わると、鉾の乗車見学券やお菓子がもらえたりします。このお菓子が楽しみなのですが‥‥町によって曳き初めの時間や、もらえるモノが違うんです。 小学生ぐらいの頃は、どのルートで回るといちばんお菓子がもらえるか‥‥鉾の出る時間を調べたり移動時間を計算したりして、あっちこっちの曳き初めを回っていました(笑)。

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●祭と言えば、浴衣!

祭とは切っても切れないのが「浴衣」です。キセちゃん・オケちゃんの子ども時代も、祭見物は浴衣と決まっていました。周りもみんな浴衣だったので、それが当たり前だと思っていました。 僕らの子ども時代ぐらいまでかな?と思うのですが、家族親戚やご近所に、和裁ができる人が何人もいました。 普通の家なのですが、表札の横に「洗いはり」や「和裁」の看板を上げているお宅もありました。 「〇〇ちゃんのおばあちゃんに言うたら、縫うてくれるよ~」みたいに、浴衣を仕立ててもらうのが当たり前でした。 子ども時代は成長が早いこともあり、毎年のように浴衣を縫ってもらっていたように思います。

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●家庭でのお手入れと、和裁

昔は、多少のお手入れやお直しは、家庭でしていたんですよね‥‥そのことについて、ちょっと深堀りしてみたくなりました。 古き良き時代、家庭ではどんな方法で、どんなお手入れがされていたのか、わかる範囲でご紹介していこうと思います。 まず、身近に和裁ができる人が多かった理由ですが‥‥これは明らかに、女子の学校教育からきているでしょう。 明治から大正時代、未婚の女性はいわゆる「花嫁修業」として、裁縫を学ぶことが標準的で、女学校でも裁縫の授業があったようです。 作家で、きもののデザインも手がけられていた、宇野千代さん(1897~1996)は、高等女学校時代、1週間に12時間裁縫の授業があり、作家として売れるまでは、和裁の仕事をして食いつないだことがある、と著作に書かれています(※『宇野 千代きもの手帖:お洒落しゃれても』)。 週6日の通学として、1日あたり2時間。なかなかのボリュームです。女性の社会的地位が低かった時代ですが、手に職があれば、生活の足しになるという教えだったのでしょう。

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●お手入れランキングとコスト

家庭でのお手入れで多かったのは、「洗い張り」「繕いもの」「シミ抜き」だと思います。 少なくとも昭和初期ごろまで、家庭での洗い張りは一般的だったようです。 繕いものとシミ抜きは、仕立てをほどかなくても可能ですが、洗い張りは、仕立て上がったきものを全部ほどいて反物に戻し、もう一度縫い直す作業が発生します。 仕立てを頼める人が居るかどうかは、とても重要です。 和裁のできる人がほとんどいなくなった現在、仕立ては仕立屋さんに発注するしか手段がなくなりました。そうなると、昔の近所のおばちゃんに頼むような価格では到底無理です。 物価の変動もありますが、昔は2千円、3千円という、主婦のお小遣い稼ぎ的な値段だったのが、今はゼロが1つ増えてもまだ安いぐらいです。 そんなにコストがかかるなら、洗い張りしなくても‥‥という選択になってしまうのでしょう。

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●家庭にあった道具(1)

次に、昔の家庭にあったお手入れ道具の話です。 家庭で洗い張りを行うのが一般的だった時代、洗い張りしたきものをペタンと貼り付ける、専用の板があったそうです。話に聞いたことはあるのですが、僕らも現物を見たことはありません。 大きさで言うと、畳1枚よりも少し大きいぐらい。仕立てをほどいてバラしたきもののパーツを、板に貼り付けて、風通しの良い場所に置いておきます。暑い日なら、数時間で乾くでしょう。 昔、おばあちゃんたちから聞いた話では、「乾いたきものを、ベリベリっと剥がすと、糊付けしたみたいにピンとなる」とのこと。 板に貼り付けた生地をベリベリ剥がすとは、少々乱暴な気もしますが(笑)‥‥ 普段着使いだったことや、当時は硬めの風合いが好まれていたことなどが、背景にあると思います。

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●家庭にあった道具(2)

洗い張りの道具では、板の他に「伸子(しんし)」も使われたようです。 80代の男性から聞いた話です。子どもの頃、家には、竹ひごの両端に針のついた道具があって、洗ったきものをピンと貼って、風通しの良い場所に吊るしてあったそうです。 板を使うより場所を取りませんし、使わない時は収納できるので、ご家庭向きだったのかもしれません。 あと、最近はあまり聞かなくなりましたが、ベンジン!昭和40年、50年代ごろまでは、お家で使われることが多かったように思います。ファンデーションや口紅など、油溶性の汚れを落としたいときに使われていました。 専門家ではありませんから、タマには失敗することもあったようです(笑)。でも、自分で試して失敗しているから、自己責任。 「この方法でやると、失敗するんやな‥‥」と、経験から学んでいたんですね‥‥。

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●おばあちゃんの工夫

キセちゃんのおばあちゃんは、普段からよくきものを着ていました。 頻繁に着用するきものは、袖やたもと、裾などにほころびが出ますが、小まめに針仕事をして直していました。 子どもでしたがハッキリ覚えているのは、汚れ防止の付け衿(衿カバー)を自作していたことです。 「衿はな、すぐ汚れるから、こうやって付け衿しとくねん。汚れたら、衿だけ外して洗えるし、擦り切れたら付け替えたらエエねん」と言っていたのを思い出します。 家庭でお手入れがされていた時代は、着る人も長持ちするように、いろいろ工夫していたんだなぁーと感じます。

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●家庭のお手入れに代わるもの

家庭でのお手入れが減ってきた頃から、専門業者が増えてきました。中でも大きかったのが、和装クリーニングでしょう。 昔は、揮発溶剤は高価でした。 クリーニングには大量の揮発溶剤を使います。洋服に比べて生地量が多いこと、素材が正絹であることから、当初は贅沢な加工だったと思います。 その後、揮発溶剤の性能が上がり、値段も下がってきました。クリーニングの設備も向上したことから、仕立ての必要な洗い張りより、丸ごと洗えるクリーニングが重宝されるようになったのだと考えます。 仕立てに関しては、和裁のできる人材が減っており、国内での仕立てが高価になっています。品質が良くて価格もお手頃なのが、ベトナムです。 仕立てを依頼して、「お急ぎでなければ、お安くできるコースがありますよ」と言われたら、まずベトナムでしょう。 仕上がりがキレイで価格も安いのですが、輸送が必要なので、納期はかかります。 凛でも、ベトナム仕立てにはお世話になっています。仕上がってきたものを検品しますが、優秀な職人さんを育成されていると思います。

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●今のうちに聞いておきましょう!

今回、少し残念に思ったのは、わずか二世代上まで、きものが普段着の身内が居たのに、もっと話を聞いておけば良かったなぁ~!ということ。 洗い張りをする板も、実際に見たことはないし‥‥現在使われていない道具やエピソードについて、いろいろ聞くことができたかもしれません。 和装で過ごしていたキセちゃんのおばあちゃんには、たくさんきものの話が聞けたと思いますが、社会人になって呉服の仕事を始めた頃には、既に他界していました。 皆さまも、周囲に詳しい方がいらしたら(呉服に限らず、昔の話は何でも)ぜひ、聞いてみてください!

2023年09月19日